Report取材レポート

Bon appétit Ishikawa!/Ruby Roman

石川の風土と人々の情熱が生んだルビーの輝き。奇跡のブドウ、ルビーロマン。前編[Bon appétit Ishikawa!/石川県]

ミステリアスな郷里の食材の産地を訪ねて。

夏のある日、石川県内のとあるブドウ畑。広がるブドウ棚の下には、大きな体をかがめ、たわわに実る房を入念に観察する世界的シェフの姿がありました。パティシエ、ショコラティエの辻口博啓(ひろのぶ)氏です。

辻口氏は、史上最年少23歳での「全国洋菓子技術コンテスト大会」優勝を皮切りに、パティシエのワールドカップと称される「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」など国内外の大きな大会で栄冠に輝いた希代の逸材。東京・自由が丘に『Mont St. Clair(モンサンクレール)』をオープン後、世界初のロールケーキ専門店『自由が丘ロール屋』やショコラトリー『 LE CHOCOLAT DE H(ル ショコラ ドゥ アッシュ)』、和スイーツ専門店『和楽紅屋』など10以上の業態の店を展開。精力的な活動を続けています。

大きな一粒の皮を半分ほどむき、一気に頬張った辻口氏は、開口一番、「やっぱりみずみずしさが違うね、ルビーロマンは」と興奮気味です。もう一粒じっくり確認するように味わい、「この上品な甘みとジューシーさは、ルビーロマンにしかない魅力なんだよなあ」とうなります。
そう、ここは石川県特産の高級ブドウ「ルビーロマン」の畑。収穫の最盛期を迎え、ピンポン球大の粒をみっちりとつけた巨大な房が連なっています。

辻口氏の生まれ故郷は石川県七尾市。現在も金沢市で料理学校を運営するなど石川県との関係は深く、月に数日間は県内で仕事をこなしているといいます。県内の食材探しにも熱心で、七尾市の崎山いちごや加賀野菜のさつまいも・五郎島金時などはお気に入りです。しかし、石川県産食材に明るい辻口氏であっても、ルビーロマンのほ場に入るのは初めてとのこと。極めて希少性の高いルビーロマンは、種苗の流出防止対策として生産者のほ場が徹底管理されています。ルビーロマンは14年の歳月を費やして開発された、世界でも石川県だけで産出される最高級ブドウなのです。

ルビーロマンの認定基準をクリアしているとおぼしき一房を収穫する辻口氏。粒と房がいかに大きいかがわかるだろう。
もぎたてのルビーロマンを試食する辻口氏。あふれる果汁にあらためて驚く。

大粒で、赤い。新しい高級ブドウ品種を。

石川県内のブドウ農家たちの強い要望を受け、石川県農林総合研究センターが新しいブドウ品種の開発計画をスタートさせたのは1995年(平成7年)のこと。当時、県内のブドウ栽培は、数十年にわたってデラウエアが多くを占めていました。デラウエアはアメリカ原産の紫色で小粒の品種。かつては高い商品力があったものの、1970年代から単価は低迷。巨峰など大粒の高級品種の台頭もあって、デラウエアに変わる新しい品種を求める声が大きくなっていました。

辻口氏にとってもデラウエアはとても身近な果物だったといいます。
「夏のプールや部活の後のおやつといえば、キンキンに冷えたデラウエア。夏祭りの締めも決まってデラウエアでしたね。冬場のこたつのみかんのように、夏場にはデラウエアは必ず各家庭に常備されていて、いつでも好きなだけ食べていいものでした。大好物でしたが、確かにありがたみは薄かったかもしれません。美味しいブドウではあるけれど」

石川県農林総合研究センターの主任研究員・井須博史氏は、開発の経緯をひも解きます。
「高級感のある新しいブドウ品種がほしい。大粒で、しかも赤いブドウはできないかと。生産者からはそのような要望が上がっていたと聞いています。赤いブドウなら巨峰と差別化できるし、巨峰やマスカットと詰め合わせにすれば、赤・黒・緑のセットにできて付加価値も上げられるからと。そこで、研究センターは全国から赤いブドウの品種を8種ほど集めて実際に植えてみました。しかし、ほとんどの品種は色づきません。ある品種は良い色になったものの、一雨降っただけで実が割れてしまいました。最終的に、風土に合う品種を人工交配によって開発するしかない、という結論に達したのです」

ルビーロマン研究会の大田昇会長(右)に質問する辻口氏。3代にわたってブドウをつくり続けてきた大田氏にとっても、ルビーロマンはまだ分からないことばかりだという。

理想高き未知の品種を探す荒波への船出。

石川県のブドウ産地は昼夜の気温差が大きくありません。既存の赤い品種が育ちにくいのは、そこに原因がありそうでした。大粒の品種に、赤い品種を掛け合わせてはどうかと考え、当時、国内最大と言われた黒くて大粒の藤稔(ふじみのり)を母親に選びました。担当スタッフは5人。ブドウの花が開く前にマッチ棒の先のようなつぼみをピンセットで一枚ずつはがし、おしべを取り除いて、綿棒でめしべに花粉を付けていきます。ブドウの開花時期は短く、2日ほどが勝負。休日返上でビニールハウスにこもり、棚から下がる小さな花をヘッドルーペを通して凝視しながら緻密な作業を何時間も続けました。

リンゴやナシであれば、一つの果実に10粒近くの種が入りますが、ブドウは入っても1粒か2粒。この人工交配によって採れた種は、わずか40粒でした。

「翌年、その40粒に加え、藤稔の種400粒を育苗箱にまきました。もしかすると藤稔も自然交配によって赤い実をつけるかもしれない。万に一つの可能性にも賭けてやってみようと考えたからだったそうです。人工交配の種から育った苗10本、藤稔の種から育った苗70本をビニルハウスに植え替えました。当時、研究センターの一番奥にある目立たない場所が選ばれました。というのも、上司や他のスタッフからは『そんなモノになるかわからない作業に時間をつかわずに、もっとやるべき仕事があるだろう』という圧力が強かったからとのこと。プロジェクトはこっそり進められていったのです」(井須氏)

幼木は3年目から実がなり始めます。結果は意外なものでした。80本のうち4本の木に赤い実がつきました。4本もついたことが予想外でしたが、その4本すべてが藤稔の種から育ったもので、人工交配のものではなかったのです。結果的に、人工交配は狙い通りにはいきませんでしたが、わずかな可能性があるならばと植えた機転が生きました。当時、研究センターには数十種類のブドウが栽培されていて、そのブドウのどれかの花粉が空中を漂って藤稔にたどり着き、自然交配して赤い実をならせたと考えられています。万に一つの奇跡が現実化しました。

ルビーロマン開発の歴史を紹介する石川県農林総合研究センターの主任研究員・井須博史氏(中央)。同センターにとってもルビーロマンは先輩たちから受け継いだ大切な財産だ。
粒がそろい、全面が鮮やかな赤色であることも必須。しかも房として整っていなければならない、と越えるべきハードルは非常に高い。
一般的に農地に求められる地力があり過ぎても、雨に恵まれ過ぎてもルビーロマン栽培はうまくいかない。収量をあげようと枝を広げ過ぎても粒が大きく育たない。

人工交配の努力は一蹴された。しかし奇跡は起きた。

4本の幼木のうち、最も味がよく、かつ鮮やかな赤色の実をつけ、栽培のしやすい木が原木に絞り込まれました。品種登録申請の準備を進める一方、名称を公募し、600以上の案の中から「ルビーロマン」と命名されました。
原木から取った枝を接木(つぎき)して大切に木を増やしていき、2005年(平成17年)には県内5生産地で50本の現地栽培試験を開始。翌2006年(平成18年)には、生産者らによるルビーロマン研究会が発足しました。会長に就任した大田昇氏は当時を振り返ります。
「ルビーロマン研究会では議論すべきことが山のようにありました。栽培方法の情報交換だけでなく、ルビーロマンを高級ブドウとして育てるためには流通のルールも決める必要があります。農作業後、夕方5時に集まって夕食の弁当を食べながら話し合いますが、議論が紛糾して深夜に及ぶことも多々あった。早朝からの農作業と深夜までの話し合いにイライラが募り、大きな声が飛び交うこともありました。ですが、ここで妥協せずに議論を尽くしたことがよかった。生産者全員が納得するまで話し合い、一丸となって取り組んだことで、ルビーロマンというこれまでにないブドウを生み出せたのだと思います」

議論の主題は、栽培にも流通にも深く関係し、営農のあり方も左右する「ルビーロマンの基準」でした。出荷基準は次のとおりです。
・一粒あたりの重さ概ね20g以上
・糖度18度以上
・粒の色が専用のカラーチャートで基準を満たしたもの

JAの検査員によってこれらの基準をすべて満たすものだけがルビーロマンと認定され、認証タグが取り付けられます。そして、専用の出荷箱には生産地と生産者が記載されたシールが添付されます。いくら大粒になっても、すべての粒がきれいな赤色でなければ、そして房として整っていなければいけないのです。この基準を満たす商品化率は、50%の実現も難しいと推定される中、極めて厳格なルールが設けられました。

2008年8月、ルビーロマンは金沢市中央卸売市場で初競りを迎えました。一房に数千円、1万円という値が付くのを確認し、大田氏はほっと胸をなで下ろしたといいます。そして、最後にうれしいサプライズが待っていました。
「10万円!」の一声。場内がどよめきます。初売りにはご祝儀相場が付き物とはいえ、一粒あたりの換算で3,000円にもなる高値は大きな話題となり、ルビーロマンの名が全国に一気に知れ渡るきっかけになりました。苦節14年、石川県農林総合研究センターで延べ20名ほどの関わったスタッフ、ルビーロマンと真剣に向き合った農家の方たちの努力が報われた瞬間です。

2011年の初競りでは、一房50万円の最高値を記録しました。落札者は、何を隠そう、辻口氏だったのです。

一房ずつ丁寧に袋がけされるルビーロマン。手間はかかるが、単価も高いことから、営農の発展に大きく貢献する。
石川県のブドウ産地はエリアによって、砂地、粘土、赤土と土壌の性質が異なる。地域によって品質の差が生じないための栽培方法の確立が模索されている。

Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)

本記事は、ONESTORYと石川県が共同で企画し、取材は石川県農林総合研究センターにおいて、県職員立ち会いのもと特別に行ったものです。

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