Report取材レポート

どこか懐かしい甘みとなめらかな食感が魅力。前田家に献上され喜ばれた「高松紋平柿」。

前田家を喜ばせたその味わいとは――「高松紋平柿」誕生秘話。

丸みを帯びた四角状に実がパンっと張った「高松紋(もん)平(ぺい)柿(がき)」。一口頬張ると、なめらかな口あたりとうっとりとした甘さに驚かされます。
「高松紋平柿」は羽咋(はくい)市以南の宝(ほう)達(だつ)山(さん)系から金沢市にかけて古くから散在している石川県原産の柿。かほく市(旧高松町)の元女(がんにょ)集落では、昔から各家の庭で甘柿や枇杷(びわ)など、さまざまな果樹が育てられていたと言います。そこにはかつて「門平さ」の屋号で親しまれた家がありました。庭には樹齢100年をはるかに超える大きな柿の木があり、その実を前田候に献上したところ大変喜ばれ、家紋の「紋」の字を賜り、「紋平柿」と呼ばれるようになりました。
昭和57年の農業構造改善事業の導入により、昭和62年までにかほく市八(はち)野(の)、瀬戸町、西山一帯に19haの「高松紋平柿」の園地が造成されました。高松紋平柿生産組合の組合長を務める池田昌健氏は、昭和57年の造成時から「高松紋平柿」作りをスタートした一人。「最初はとにかく土づくりが大変だった」と語ります。「あれからもう40年も『高松紋平柿』を作ってきましたが、同じ木でも毎年実のなり方が違って、毎年違う顔を見せるんですよ」と池田氏。味よし、色よし、大きさよしの「高松紋平柿」作り、一筋縄ではいかないようです。

約70名の「高松紋平柿」の生産者のなかでも池田氏が最も広い栽培面積を持つ。現在、柿の木は360本ほどだが、かつて500本ほど栽培していた時期もあったという。

一枝に一個が理想。気難しい性質を見極めながら育てる。

「高松紋平柿」には、生産者を悩ませるちょっぴり困った特性があります。6月中旬から7月中旬にかけて木が自分の身を守るために自然と実を落とす「生理落下」という現象が見られることです。生理落下を軽減するために、5月上旬には摘(てき)蕾(らい)(つぼみを間引く作業)し、枝の剪定(せんてい)をして木の内部までしっかりと日が当たるようにします。

7月の摘果(てきか)も気を張ります。葉の数を確認しながら実を摘み、絞り込んだ一つひとつの実にしっかり栄養を行きわたらせるようにして大きく育てます。「摘蕾も摘果も大事な作業だけどリスクもある」と池田氏は言います。実を落としすぎると、今度は残った実が急に大きくなってヘタスキ果になりやすくなるからです。ヘタスキ果とは、実と枝の成長スピードの違いによってヘタと実の間に隙間ができてしまった実のこと。見た目が悪くなるだけでなく、実が傷みやすくなるのだそう。300~320gのプレミアム(3Lサイズ)を目指す場合は、一つの実を完成させるためにその木の6~7割の実を諦める覚悟で作らなければならないと言います。それだけ、一つひとつを大きく育てるのは難しいのです。

池田氏は「一枝に実一つ」を目安にしているとか。「なにしろ木が300本以上もあるので、もちろん見落とすこともあるんです。収穫して葉がなくなった頃にもまだこんなに実があるのかと驚くようなことも時々あります」と笑いながら話す。

育てていくうえで、作り手ごとに経験による勘を活かしながら、それぞれの木がどうしたら大きな実を育てられるのかを考え、個々の木の特性を見極めながら工夫して育てています。

剪定にも気を配ります。実を大きく成長させるには、枝を伸ばして葉を茂らせつつ、実にも太陽の光を当てなければなりません。摘果により数を制限された実に陽光をしっかりと当てることで糖度が上がるからです。かといって日に当てすぎると今度は日焼けしてしまうため、「塩梅がなんとも難しい」と言います。脚立を上っては降りてを繰り返し、全体の枝の様子を確認しながら剪定をして、ベストの状態を探ります。

最近では、生産者が脚立を使うことなく、より安全かつ効率よく栽培できるように、枝を横に広げるようにして育てる低樹高栽培が推進されている。「剪定がうまくいったと思っても、摘果の時期になるとなぜか邪魔な枝が出てくるものなんです」と池田氏。

果樹そのものだけでなく、木のまわりの草刈りも重要です。雑草を完全になくしてしまうと土が乾燥しすぎてしまうし、茂らせすぎるとせっかくの肥料の養分を雑草がもっていってしまうからです。土、雑草といった木の周辺環境もしっかり整えながら、実を育てていきます。

「高松紋平柿」を作る大変さを池田氏はこう語ります。「私の畑の木は40年くらいたってるものがほとんどですが、毎年よく実のなる木が決まっているということはないんです。何年たってもうまく実がならない木もあるし、今年はうまく実がなったという木もある。毎年肥料のやり方や手のかけかたについては同じだけ丁寧にしているつもりですが、それでもなかなか性質が見抜けない」。しかし、だからこそ「次はもっとおいしい柿を」と池田氏は奮起するのかもしれません。苦労は絶えないと言いつつも「できあがりの甘さは抜群ですから」と笑顔を見せます。池田氏の「高松紋平柿」への情熱と愛情に胸が熱くなります。

とにかく傷つきやすい! 収穫は優しく丁寧に。

こうしてようやく収穫の時期を迎えます。収穫のサインは実の大きさと色。色見本に従い、一定の色になったことを見定めて収穫します。
「高松紋平柿」は皮がとても薄いため、出荷までの作業で傷ついたところが黒ずんでしまわないように、収穫時は一つ一つの実をさらに優しく丁寧に扱います。
生食用の出荷数の目標は例年70トン前後。柿には表年、裏年があると言います。
池田さんはその年ごとに、表年、裏年を見極めながら、慎重に摘果作業を行い、出荷量の確保に努めています。
11月の中頃に収穫を終えたらまた剪定をし、3月頃まで肥料をまき、草刈りをしながら来期に備えます。「年中、なんだかんだと忙しいんです」とさわやかに語る池田氏の表情に、プロとしての責任と誇りを感じました。

収穫して終わりじゃない! おいしさが完成するのはここから。

「高松紋平柿」は収穫した状態のままで出荷されるわけではありません。私たちの口に入るととても甘くておいしいですが、本来はタンニンを豊富に含む渋柿。市場に生食用として出回っているものは、収穫してすぐに「脱渋(だつじゅう)」と呼ばれる作業を経たものです。

JA内の脱渋装置。

脱渋とは、食べたときに渋みを感じさせなくする作業のこと。アルコールを使う方法から現在は炭酸ガスを使った独自の方法に変化しました。これによって柿そのものの甘く、豊かな味わいが引き出された状態で出荷されるのです。この作業によって日持ちもさらによくなります。

タンニンは渋みの素ではありますが、血液の流れを良くする役割があり、高血圧を防ぐ作用があるとされています。また、ビタミンCと食物繊維も含んでいるのもうれしいところ。「高松紋平柿」の醍醐味を味わうなら、やはり生食が一番です。日を置くとどんどんやわらかくなっていくので、好みのタイミングで楽しむのもいいでしょう。「やわらかくなったら冷凍してシャーベットにして食べるのもおすすめ」と池田氏。昔は酔い覚ましに柿を食べたのだとか。

張りのある実は食べ頃の証。なめらかな口あたりを楽しみたい。

祈りとともに土地に根付いた味覚。

瀬戸町集落では現在でも毎年1月中旬に、柿の木にわざと傷をつけて、そこに小豆の炊き汁を塗り、柿の豊作を祈る「柿の木いため」という珍しい神事が行われています。この地域においていかに柿が古くから親しまれ、人々にとって大切なものだったかがうかがえます。
池田氏がその神事に対するユニークな持論を教えてくれました。「柿の木は、木の中に入り込んだ虫を追い出してきれいにするために、数年に一度のペースで幹の皮をむかなければならないんです。もしかしたらこの神事は、その行為からきたものなのかなと思っているんですよ」

その地域で生まれ、人々の暮らしと密接につながり、作り手を魅了し、親しまれてきた「高松紋平柿」。前田候のみならず、現代の人々にも愛される逸品です。