Report取材レポート

Bon appétit Ishikawa!/Tori-gai

七尾湾が育む奇跡の滋味。美食家を唸らせる「能登とり貝」の比類なき旨さ。[Bon appétit Ishikawa !/石川県]

『respiración(レスピラシオン)』の梅 達郎シェフが、能登とり貝で作った一皿。ごく浅くボイルした能登とり貝に、能登のワラビ、山ウドを合わせ、セリのオイルと貝出汁のソース、新玉ねぎのソース、柑橘の泡と共にいただく。

困難を極めた種苗生産研究を経て、本格的な養殖へ。

新崎漁港をあとにした『レスピラシオン』のオーナーシェフ・梅 達郎氏が向かったのは、能登半島屈指の良港である宇出津港の近くにある石川県水産総合センター。同センターは、石川県の資源管理型漁業の推進等を目的にした研究施設です。卵から出荷まで人の手で育てられる完全養殖で生産される能登とり貝は、こちらでの採卵と種苗生産に端を発します。

同センターの企画普及部長・濵上欣也氏は、能登とり貝養殖の黎明期から携わるひとり。豊凶の差が激しい天然とり貝資源の維持・安定を図るため1988年から、とり貝の種苗生産の研究がスタートしたと振り返ります。
「とり貝の卵は65ミクロン(ミクロンはミリの1/1000)しかなく、まず採卵や人工受精に高い技術を要します。とり貝はとても弱く、受精できても、2週間ほどの浮遊幼生期になぜか死んでしまってうまくいきませんでした。飼育する水温を微調整したり、餌の種類を変えたり、とにかく手探りでなんとか生き延びてもらうために試行錯誤しました。2晩徹夜して見守ったこともあります。プロジェクトの初年度から2年間担当した私はまだ24歳でしたから、とにかくがむしゃらにやっていましたね。そうして、なんとか1cm以上にまで稚貝を育てるまでに至り、数年間生産が行われました。しかし、その後、技術的な困難性や事業の効果を踏まえ、あえなく中断となってしまいました」

とり貝の漁獲低迷がさらに深刻化した頃、今度は出荷まで人の手で育てる完全養殖を目指したプロジェクトがスタートしました。2009年の予備試験で一定の成果があったので2010年から本格的に種苗生産試験と養殖試験が開始されました。漁業者への養殖技術指導などを経て、2015年についに本格出荷に漕ぎ着けます。漁業者へ10万個の稚貝の配布及び、6万個の市場出荷を目指したものの、数年は3万個台程度の出荷に留まります。研究を進めていくうちに、海水温と貧酸素、餌の量といった環境の影響が大きいことが分かり、とりわけ夏場の高水温を避けることの重要性が明らかになってきました。そこで、2019年には前出の安定生産支援システムを設置し、漁業者がいつでもスマートフォンで海中の状況を確認できるようにソフトウェアを稼働させました。これにより、出荷量が飛躍的に伸びたのです。

石川県水産総合センターにて。35年前、とり貝の種苗生産プロジェクトに若くして参画した企画普及部長・濵上欣也氏(右)。異動によってとり貝の事業から離れていたが、2009年から再びとり貝の完全養殖の推進に取り組んできた。
石川県水産総合センターの一角を借りて、能登とり貝のボイルと試食に取り組む梅氏。
茹で上がった能登とり貝。鳥のくちばしを連想させる黒く尖った身が特徴。
梅氏は食感や風味を入念にチェックしながら、本来の持ち味を最大限に引き出す調理法に思いをめぐらせる。

心地よい食感、強い甘み。その旨さ、完全に別物。

能登とり貝は、重量サイズ別に5つの区分(プレミアム・特大・大・中・小)で出荷されています。最大のプレミアムは殻付き重量で200g以上。出荷量全体のわずか1%未満と言われる希少品です。石川県水産総合センターで獲れたての能登とり貝を試食させていただきました。

プレミアムサイズの殻を自ら剥く梅氏は、その大きさもさる事ながら、ずしりとした重量感に驚きます。
「牡蠣もそうなんですが、殻の大きさに関係なく、中にどれだけ厚い身が入っているかが重要なんです。これは、手にしただけで身がいっぱいに詰まっていることがわかりますね」
内臓を取り、身を開くと、鮨ネタとしてよく見かける他産地のとり貝の倍はゆうにあろうかという一枚となりました。厚みも見るからに段違いです。

まずは定番のボイルから。濃度1%塩水を沸騰させ、1分間茹でて熱々を食べてみます。大胆に頬張った梅氏の口元からは、「ギュッ、ギュッ、ギュッ」と心地よい歯応えを感じさせる音が聞こえてきます。じっくりと身質や風味を確認しながら味わっていた梅氏は、「旨いですね」と破顔します。
「大きいからといって大味ではまったくない。むしろ甘みが強い。天然物と同じように自然の植物プランクトンで育つからでしょうね。そして、身が厚いから、一般的なとり貝のグニュっとした食感と違って、どちらかというとサクサクするような小気味よい食感を楽しめます。噛み締める美味しさがあって、噛み締めるほど甘みが増幅する。これは、普通のとり貝とは完全に別物ですね」と評価します。

次に同様にボイルした一片を冷やして試食した梅氏は、なるほど、と何か思いついた様子。鍋のお湯の温度を下げ、能登とり貝をゆっくりとくぐらせる程度に火を入れると、すぐに冷凍室へ入れて冷やしました。待つこと数分。しっかり冷えた茹で能登とり貝を頬張る梅氏は、丹念に噛み締めながら、うん、うんと頷く。さらに、クセがあるとされる生の一片もペロリ。「僕は生も好きですね、海の風味がダイレクトに来る」と微笑みました。

『レスピラシオン』の厨房にて、能登とり貝の調理に取りかかる。
調理のキモは茹で加減。試行錯誤の末にたどり着いた繊細な火入れのために、湯の温度と投入時間に注意を払う。

大地から海へと繋がる里山里海の恵みを一皿に。

後日、梅氏は能登とり貝を使った料理を用意してくれました。
「普段、僕は土地の風景を映し出すような料理はあまり作らないのですが、今回はあえてそうしてみました」と話す一皿は、いつもの『レスピラシオン』のミニマルでストイックな美しさが表現された料理とはうって変わって、能登とり貝が奔放に踊っているかのよう楽しげな印象。能登とり貝と共に皿を彩るのは、能登で旬の時期が重なる山菜であるワラビや山ウド。やはり能登の里山にも自生するセリのオイルも能登とり貝の出汁を合わせたソースに加え、新玉ねぎのソース、柑橘の泡が添えられています。

「クヌギやミズナラの林が広がる能登の里山。落ち葉やどんぐりが堆積する大地には、さまざまな動植物の命が育まれています。その土中の養分が溶け込んだ雪解け水が七尾湾に流れ込み、植物プランクトンに満ちた豊かな漁場ができる。七尾湾周辺で春から初夏にかけて旬となる山菜と合わせることで、大地から海へとつながる里山里海の風景を表現しました」と梅氏は話します。

能登とり貝を付け合わせのワラビと山ウド、ソースと共にいただきますーー。山菜特有の心地よい苦味と香り、新玉ねぎソースの自然な甘みと相まって、能登とり貝本来の旨味が単体で味わうよりも強く感じられます。海と山、それぞれに由来する個性的な味わいが調和し、響き合うような感覚。なるほど、能登とり貝の養殖筏から見た風景が、まるで味覚から再現されるかのようです。

そして、驚くのは、能登とり貝のみずみずしさ。プリンとしていて、歯応えもほどよく、上品な甘みと香りが華やかに広がります。

「70℃のお湯で10秒間の湯引きにしています。能登とり貝ならではの弾力と繊細な風味を引き出すためにたどり着いた火入れです。プレミアムサイズの場合ですから、もっと小さなものは数秒の投入でいいかもしれません。実際に調理してみて、他の貝にはない、能登とり貝の魅力を実感しました」。

今回、能登とり貝の生産地を訪ねた梅氏は、あらためて能登の里山里海が育む食材のポテンシャルの高さに驚いたと話します。
「石川の食材をもっと知りたいという思いが強くなりました。すぐれた食材の新たな魅力を発掘し、伝えるのは、料理人の大切な役割でもあります。自分の皿を通じて、発信していきたいです」。

能登とり貝と山野草を合わせ、七尾湾の里山里海の風景が一皿に表現された。
築150年の町家をリノベーションした『レスピラシオン』では、日々、石川県産食材の新たな魅力を引き出した食体験が繰り広げられている。

Profile

梅 達郎|『respiración』オーナーシェフ

1980年、石川県生まれ。和食店のホールでのアルバイトから料理の世界へ。東京・両国の『墨田』で本格的な修業を開始。27歳でスペイン・バルセロナへ渡り、ミシュラン一ツ星の『SAUC』で腕を磨く。都内のバルやレストランを経て、2017年に、幼なじみの盟友、八木恵介氏、北川悠介氏と共に、金沢市にモダンスパニッシュ・レストラン『respiración(レスピラシオン)』をオープンし、料理長に就任。ミシュランガイド北陸2021年特別版で二ツ星とミシュラングリーンスターを獲得。

respiración

住所:石川県金沢市博労町67 MAP
電話:076-225-8681
営業時間
昼:12時一斉スタート
夜:18時一斉スタート
定休日:月曜日を中心に月6回
https://respiracion.jp/

Photographs:SHINJO ARAI, DAICHI MIYAZAKI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県、公益財団法人いしかわ農業総合支援機構)

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