Bon appétit Ishikawa!/Mushroom
経験したことのない、圧倒的な風味、余韻に酔う。後編[Bon appétit Ishikawa !/石川県]
奥能登の自然と共に生きる人々の知恵で育まれた椎茸栽培。
奥能登原木しいたけ活性化協議会初代会長の新五十八氏は、珠洲市で20歳の時から椎茸農家を50年間続けてきた、奥能登の椎茸栽培の草分け。取材班が訪れると、奥能登の椎茸の歴史を紐解いてくれました。
新氏は目ぼしい作物のない奥能登で営農する苦肉の策として、椎茸を選んだと話します。平地の少ない奥能登では米作りは難しい。今でこそ交通の利便性は上がったが、50年前は野菜を作っても新鮮なうちに遠い消費地へ運ぶことはできなかった。酪農を始めるには資金がない。そこで目をつけたのが干し椎茸だったといいます。
「干し椎茸なら交通事情にあまり影響されず、年間を通じて出荷できます。奥能登には塩田の文化があったので、塩を煮炊きするため薪や炭が大量に必要だったことから、山にはスギやヒノキは植林されず、コナラを中心とした雑木林が保たれていました。塩田の衰退に伴い薪の需要は落ちている中、このコナラを原木に活用することもできる。それで友人とお金を出し合って椎茸栽培を始めました」
一般的に、椎茸栽培には半島が適していると言われているそうです。強い風が吹き抜け、適度な湿度があり、1日の寒暖差が大きい。能登では良質な椎茸が育ちました。石川県民はきのこ好きであることも相まって干し椎茸生産は順調に成長し、1980年代半のピーク時には椎茸農家は約200軒近くに、生産量は100トンにも達しました。ところが、中国産干し椎茸の台頭により、国産ものは暴落。椎茸を諦める農家は後をたたず、生産量はほどなく1トンにまで落ち込みました。
新氏は根気強く椎茸栽培を続け、1990年代から新しい菌種であった115を使った生鮮用椎茸の出荷に力を入れ、JAらと一緒に「のと115」のブランド化に取り組んできました。そのフラッグシップとして誕生したのが「のとてまり」だったのです。
「ご祝儀相場とはいえ、我が子のように育ててきた『のとてまり』が初出しで十数万円もの値がついたときは、さすがにようやくここまで来れたな、と思ったね」と新氏。「のとてまり」は生産者の思いを一身に受けて、大きく成長してきたのです。
「のとてまり」の高い発生率の秘密は、丁寧な水やりにあり。
穴水町を流れる小又川の最上流にある集落で、「のと115」の栽培に取り組むのは山方正治氏。定年退職後に実家がある当地で就農し3年目になります。
標高150mほどのところにあるほだ場は、ハウスの中でも底冷えのする寒さで凛とした空気が漂っています。山方氏は、管理している原木は1650本と少なめではあるものの、「のとてまり」の発生率がひときわ高いと、他の生産者からの注目も集めています。同氏が栽培において最も配慮しているのは水やり。霧状に噴出できるホースを使い、椎茸には直接水が吹きかからないように気をつけながら、原木1本1本に丁寧に水やりしていきます。1回の水やりにかかる時間は3時間ほど。
「清冽な山の水を引いて、とにかくきめ細かな水やりを徹底しています。まだまだ手探りですが、温度と散水管理が出来や収穫量をかなり左右することがわかってきました。作業は大変ですが、椎茸は手をかけた分だけ美味しくなってくれる。自分でもバター醤油炒めにしたりしてよく食べますが、本当に美味しい椎茸だな、と感動しますね」
手に取り、料理をし、鳥肌の立つ、類まれな食材。
高森氏、室木氏、山方氏からわけてもらった「のとてまり」を、片折氏は早速試食してみました。鰹出汁と濃口醤油で作った出汁醤油を塗りながら、炭火で焼いたごくシンプルな焼き椎茸。火入れはあえて浅めにして、余熱で中心部まで火が入るかどうかの焼き立てをいただく。一口味わった片折氏は、思わず唸ります。
「うまい。ものすごいですね、椎茸の香りと旨味の強さが全然違う。上品な食感は蒸し鮑のよう。風味の余韻もずっと続きます……また鳥肌が立ってきました」
「一般的な和食では、椎茸は肉や魚の添え物になることが多いのですが、『のとてまり』はもちろん『のと115』も主役を張れる食材です。懐石の中に、その場で焼いたり炊いたりしただけの椎茸そのものを味わっていただく一品を挟んで、生産者の思いを豊かな風味と一緒に伝えていきたい。そう思います」
Photographs:SHINJO ARAI
Text:KOH WATANABE
(supported by 石川県)